海外とルッキズムと日本

一度ルッキズムのない世界で過ごしてみたい、海外行けば寛容なのか。

海外とっても一括りにするのはよくないし、当たり前にそれぞれの国で違うだろうけど。ここには個人的にすごい興味があった。

「モデルみたいに痩せなきゃ」「二重が可愛い」「鼻がツンとしてれば」だとかそうゆう事は日本人の女の子なら一度は思ったことがあるんじゃないでしょうか

電車の広告には2万で二重整形だとか100円で永久脱毛だとかそんなんばっか。ルッキズム(外見至上主義)が根深い市民権を得ている。もはや可愛い顔の基準が数値化されつつもあり、美しさは武器で就職にも影響するとかなんとか言われていたり。女の子であることがメイク 服装 ネイル 脱毛をするという型に当てはめてしまっていて、生きづらいとは思いつつも、結局自分もその世界に踊らされてきた。それをしないと女の子として認められないみたいな。だけどそこから生まれる共通の話題だったり自分も楽しんでやっていたりもする。今じゃ男の子でも美容に気を使ったりメイクすることも多くなっている。

マイクロアグレッションはしばしばルッキズムの形態として現れる。

マイクロアグレッションとは:

1970年にアメリカの精神医学者であるチェスター・ピアスによって提唱された、意図的か否かにかかわらず、政治的文化的に疎外された集団に対する何気ない日常の中で行われる言動に現れる偏見や差別に基づく見下しや侮辱、否定的な態度のこと。別名「小さな(マイクロ)攻撃性(アグレッション)」。

人と関わるとき、相手を差別したり、傷つけたりする意図はないのに、相手の心にちょっとした影をおとすような言動や行動をしてしまうこと。 「微細な攻撃」とも訳されるマイクロアグレッションがなぜ相手を傷つけるかというと、その言葉や行動には人種や文化背景、性別、障害、価値観など、自分と異なる人に対する無意識の偏見や無理解、差別心が含まれているからである。

ある人が外見に基づいたステレオタイプを持っており、そのステレオタイプに基づいて判断やコメントをすることがある。

一例として、「あなたは痩せたら、可愛いのに」って言葉たまに見かける。言葉を発した人からすると褒め言葉のつもりで言ったとしても、本人はそのままでいいと思っていたのに自分自身に対する不安や恥ずかしさを覚えるかもしれない。不快感や屈辱感を感じ、自己評価が低下することもある。褒めたつもりだとしても、悪気がなくても、気付かぬうちに相手を傷つけている。これがマイクロアグレッション。

憧れの人の様になりたい思い

マイクロアグレッションや外見至上主義が存在する社会において、理想の人物像に近づくことは、しばしば個人の自尊心や自己評価に大きな影響を与える。

憧れの人や尊敬する人がいて、その人みたいになりたい」という気持ちはよくあることかもしれない。自分が尊敬する人や憧れの人が持つ魅力やスタイルに共感することで、自分自身の成長や変化を促す感覚。メイクやファッションなど、見た目に関する部分を真似することは日本では日常的だ。実際私も同じ様なことをしていた。

例えば、髪型やファッションのセンスから、ある人がK-pop好きだったり、ジャニーズファンだったりすることが分かってしまうことがある。これは、日本人の繊細な感性や美意識が反映されたものであり、他の国ではあまり見られないものかも。

一方、マレーシアでは、全くその様なことが見られない。私的に一番のカルチャーショックだった。マレーシアでもK-pop好きがかなり多いのだが、だからと言って長めのアイラインに涙袋を書いてたりしない。いくら理想や尊敬する人でも自分は自分、あなたはあなたという考えが強い様に思う。自分自身の個性や価値を大切にしている。そして街中でメイクしてる人はほとんど見ないし、すっぴんラフな格好で外出してる。メイクをするのは特別な日(パーティーなど)だけらしい。毎日家から出るのに一時間以上かけて支度するのは考えられないって。この違いは多様性や宗教からくるものなのか‥はたまた国民の性格が反映されているのか‥ルッキズムという概念はここの国では比較的寛容なのかもしれない。

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